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52件の議事録が該当しました。

該当会議一覧(1会議3発言まで表示)

2008-11-28 第170回国会 衆議院 外務委員会 第3号

中曽根国務大臣 朝鮮半島出身の旧軍人軍属遺骨の返還、そして遺族の問題、これにつきましては、遺骨問題等につきましては、実は私も前から、委員と同様に、委員ほどではないかもしれませんが、大変この問題に関心を持っておりまして、実は私は日韓議員連盟日本側の社会・文化委員長をしておりまして、総会が行われるたびに韓国側とこの問題を話し合ってまいりました。  

中曽根弘文

2005-04-01 第162回国会 衆議院 内閣委員会 第6号

一九四八年七月三日に参議院議長あてに提出した参議院文化委員長祝祭日の改正に関する調査報告書、これでは、これまでの祝祭日宮廷中心祝祭日であった、しかし今日では新憲法が公布され、主権国民の手に移った以上、祝祭日もまた国民祝祭日でなければならない、これは最も重要なことであるというふうに述べています。  

吉井英勝

2003-07-16 第156回国会 衆議院 内閣委員会 第18号

私もここへ持ってきておりますが、当時、約五十ページの報告書も、これは文化委員長の名で参議院議長あてのものとかあります。  官房長官に伺っておきたいんですが、もちろん、官房長官、こういう選定基準はよく御承知のことと思いますが、この選定基準福田官房長官はどのようにお考えになっておられるか、これを最初に伺いたいと思います。

吉井英勝

1994-12-06 第131回国会 衆議院 内閣委員会 第4号

○松本(善)委員 当時、国民祝日審議をした参議院文化委員長は、報告で次のように述べております。  今おっしゃった第一の新憲法の精神にのっとるということでありますね。この条項は、「すべての基準の中で最も重く考えたものでございます。今までの祝祭日は、王政復古思想の盛んでありました明治六年に太政官で判定したものでありますから、宮廷中心祝祭日であります。

松本善明

1967-04-27 第55回国会 衆議院 予算委員会 第15号

同じく六六年の三月十七日、ザブロッキ米下院外交委員会アジア極東文化委員長は、解放戦線軍人一人に対して、一般市民が六人の割合で被害を受けている、こういうことを言っているのです。そうすると、私の調査では、六六年に大体民族解放戦線側軍人は五万人死傷者が出ております。その六倍ですから、三十万人の非戦闘員民間人が計算されることは、これはもう明確です。しかも、その中で七〇%が子供なんです。

山本幸一

1957-05-14 第26回国会 衆議院 内閣委員会文教委員会連合審査会 第1号

そういう点から——当時参議院文化委員長山本勇造氏もそういう意見でございましたが、少くとも日本祝日については現在の新しい憲法にのっとった、それに沿うような祝い日なら、われわれは賛成するけれども、前の旧憲法時代のような考え方でこの新しい時代にこれを作るということについてはどうも納得がいかないわけなんです。

佐藤觀次郎

1957-05-14 第26回国会 衆議院 内閣委員会文教委員会連合審査会 第1号

○佐藤(觀)委員 私もかつてこの国民祝日に対しての、例の文化委員会がありまして、そこの理事をしておりまして、提案をしておられます小川さんが当時文化委員長をやっておられまして、この問題についてはいろいろと過去のいきさつもありますが、戦争が終りましてからちょうど十二年になります。

佐藤觀次郎

1949-05-11 第5回国会 衆議院 文部委員会 第15号

回顧すれば、一昨年第一回國会当時、時の文化委員長福田繁芳君は本会議での緊急質問において、國宝重要美術品の散逸は、奈良、京都を爆撃から救つたウオーナー博士に対して相済まないと申されましたが、そのウオーナー博士は今度の金堂火災を聞知せらるるや、ただちに翌一月二十七日フオツグ博物館に、壁画展覧会を催しそのみずから執筆せられた解説において、この法隆寺金堂をヴアチカンのシスチン・チヤペルやスタンブールのアヤ・ソフイヤ

水谷昇

1948-12-13 第4回国会 衆議院 文部委員会 第6号

現に「世界」という雜誌発表しておられまする、前衆議院文化委員長小川半次君に対する反駁的な議論の校長の御意見も私は読み、またいろいろな面から校長の御意見をも研究してみたのでありまして、あながち全部校長の言われることが独断であり、非常に非理論的であるとは考えません。聞くべきところが相当あるとは私も思うのであります。

松本淳造

1948-12-13 第4回国会 衆議院 文部委員会 第6号

あわせてこれは小宮校長の御意見として先ほども触れておきましたが、岩波書店発行の「世界」という雜誌に、この問題を小宮さんが署名入りで御発表なつているのを私は拜見して、大体校長の御意見はわかつておるのでありますが、しかしその御発表の態度と申しましようか、文章というようなものを伺いますときに、そのあて名は衆議院文化委員長小川半次君に対する半公開的な文章でございまして、それは小川半次君に半公開的にあてられている

松本淳造

1948-11-18 第3回国会 参議院 文部委員会 第3号

懇談の形式を取りまして、お互いに、この文部委員、なかんずく文化委員会なるものの使命を果たしたい、一つ國会からの文化委員長であられた山本委員を小委員長に煩わしたいという全員のお氣持でありまして、たつてお願いしたのですが、過去第一回、第二回國会において文化委員長を勤めたが、いろいろ事情もあり、今度は休みまして貰いたいということで、切なる御要望もありましたので、お願いいたし兼ね、一同は三島委員を小委員長

松野喜内

1948-07-05 第2回国会 参議院 本会議 第60号

然るに本件は、昨日山本文化委員長が詳細に報告いたしました祝祭日に関する調査報告と同一の問題を取扱つたものであり、又文化委員会におきましても、昨年末より衆議院文化委員会と合同で調査を続けて來た事情もありまして、審議におきましては、質疑を省き、直ちに討論に入つたのでございます。参議院文化委員会においては、國民の日という呼び方でこの法案調査研究を進めて來ましたのであります。

久松定武

1948-07-03 第2回国会 参議院 議院運営委員会 第61号

○参事(河野義克君) 文化委員長申入れを朗読いたします。「この度貴委員会放送法案通信委員会に付託されたが、この取扱い方は文化委員会として甚だ了解に苦しむところである。第一に参議院規則第七十四條第六項によれば、ラジオ放送に関する事項文化委員会の所管となつている。しかるに放送に関する法案を他の委員会に付託するならば第六項にあるラジオ放送なる字句はいかに解すべきであるか。

河野義克

1948-06-29 第2回国会 参議院 文化委員会 第9号

過日の委員会において國会が表彰するということを申したことは、先頃幸田露伴翁が亡くなりまして、文化委員長たる山本勇造君が、議場において國会関係のない故人に対して追憶の辞を述べられた、ああいう方法によつて表彰するということを意味したものでありまして、勲章を贈るというようなことについては考えはないということを御承知を願いたいと思います。

來馬琢道

1948-06-21 第2回国会 衆議院 議院運営委員会 第55号

小川文化委員長 委員長からお許しを得たので申し上げますが、國会関係の法規にも定めてあるように、文化委員会の第六項に「ラジオ放送に関する事項」というのがあります。従つてわれわれは初めからラジオ放送関係するものは、当然文化委員会に来るものとして、それらの資料も集め、かつこの方面の関係者とも、しばしば懇談会を催しておつたのです。

小川半次